初代人祖伊邪那岐尊の御魂処のホームページ 大杉神社です
           
 
 
 
 
 
 
           
   
   
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北原(きとら)竜宮(りゅうぐう)・大杉竜王  由縁書略記
   

鎮座地

滋賀県彦根市武奈町 武奈山 標高624mの山頂
   
御祭~  三~
       
  生命継承権憲邪(せいめいけいしょうけんけんじゃ)
        動物の元生産親様(どうぶつのもとうみおや )
               皇親~漏身命(すめらかむつかむろみのみこと)
   
  生命継承権憲邪(せいめいけいしょうけんけんじゃ)
               人間 皇祖初代・伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
   
             
  生命継承権憲邪(せいめいけいしょうけんけんじゃ) 
       植物の元生産親様(しょくぶつのもとうみおや)
               皇親~漏樹命(すめかむつかむろぎのみこと)
   
御鎮座 約七百二十万年前
   
      およ             たんば   たかあまはらまないはたにわ
由緒 今から凡そ七百二十万年前に、丹波の国の貴天原真那井原丹庭
   
  (現在の京都府宮津市大垣「天橋立」にあります籠~社奥宮の地に、
由来書PDF  
                        ごなん(さんじょうけひ  
  人間として「絶対に争い戦いは致さぬ、御難賛助の御誓約」を
   
  てんかい     だいしょうぶ
  天津におわします大正腑の~(天~)と約束され、
   
  零迦児(むかご)として皇祖初代・伊邪那岐尊・
   
  伊邪那身命のお二方は御降臨遊ばされました。
   
        おにゅうどうじ・おにゅうどうじょ   
  幼年期を大丹生童児・大丹生童女と申し、
   
  おにゅうどうじ          みが    おにゅうどうじょ
  大丹生童児さまは男の六根を磨くために、大丹生童さまは女の六根を磨く
   
  ために、若狭の地にてお別れされ、それぞれ動物たちをお供にされて旅をされました。
                                                    
  大丹生童児さまと大丹生童女さまは成人されたとき、
                      げつやけんぐう   やにわ
  現在の三重県伊勢市にございます月夜見宮があります弥丹庭の
   
                         いざなぎのみこと   
  森にて再開され、結婚されて皇祖初代・伊邪那岐尊   
   いざなみのみこと
  ・伊邪那身命を名乗られました。
   
                      たびどころ   
  そのお二人は現在の多賀大社のお旅所であります
  とどのみや
  調宮「栗栖(くりす)の地」にて、男子十九名・女子十九名の三十八
   
     おこ      うみ
  名の御子をお生産育(そだ)てになり、その御子を天命により
   
  霊仙山の山頂に集(つど)わせに成り、一人ひとりに、天に向
                                             
  かって一言ずつ違った発声をおさせになれば、
                ことだま    てんじょうてんかい    ね
  天津より一言ずつ違った言霊を戴かれ、天上天津よりの三十八音と、
         おん ことだま             おん(なむ)
  地上三十八音の言霊を以って、七十てんかい六音(七六)
   れいげんことだま やまとことば
  の霊言言霊による大和詞を完成されました。
   
             おはたらき               
  その後、五千年位御活動気になられた皇祖初代・
  いざなぎのみこと  いっしょうがい
  伊邪那岐尊さまは、一生涯を終えられるときに此の地に山入りされた
  ので御座居ました。
   
           いざなぎのみこと             
  尚、皇祖初代・伊邪那身命さまの山入は、此の地より
  ひつじさる             ひばおおかみ
  未申の方角にあります比婆山に比婆大~としてお祀りされています。
  おにゅうけ まつえい さまげい   しもにゅ                               
  大丹生家の末裔で、醒ヶ井の地・下丹生に生まれた
             いつわり
  霊仙三蔵法師は、記紀により塗り替えられた偽の歴史ではなく、真
                               しめなわ
  実の歴史を伝える為に、この地にあった大杉の幹に注連縄をはり、
   
  三~(植物・動物・人間)をお祀りされました。
   
  今、キトラさん・大杉さんと称え、崇敬者は全国に及んでいます。
   
御~徳 夫婦和合・恋愛成就・家内安全・病気平癒
   
お祭り  月次祭   毎月第二月曜日
   
  祈年祭    三月春分の日     その年の五穀豊穣、生産祈願の祭り
   
  例大祭    八月十日       恒例の最も重要な祭り  
                       祈祷木を焚き、般若心経を唱える
   
  新嘗祭  十一月二十三日頃   豊かな稔りと生産に感謝する祭り
   
  鎮魂祭  十二月冬至の日    いのちの再生を祈る祭り  
                       人形を焼納し、その年の塵芥(ちりごみ)を祓う
   
 
   
 
   
 この岩倉に
     人祖・初代「伊邪那岐尊」様が御入定された場所で御座居ます。
 
 
この岩倉の伊だだを通り人祖初代伊邪那岐尊は、御遷還されました。
 
 
永久(とわ)の旅路のお山入り        お山入りPDF版
 
いざなぎのみこと                          ちゅうしん 
伊邪那身命さまは、若き日の未熟な思い出の中に浮かび来る彦根(中心)が、
     さめがい     ぶなやま ひばやま  
米原の「醒ヶ井」から登きた武奈山と比婆山で、
ここ               とりいもと
此処こそが私達二人の墓処「鳥居本」ではないかとふと想い、
 
今日まで誰にも話したことは無いのですが・・・・、
      あなた 
今、始めて貴男さまに打ち明けるので在りますが、
                            いざなぎのみこと  
「そろそろお山入りの準備に入りましょうか・・・?」と伊邪那身命が仰せになれば、
いざなぎのみこと
伊邪那岐尊はお笑いになりながら、
 
「それではそろそろお山入りの準備に入りましょうか。」と仰せられ、
                    じゅんびばんたん
手に手を取り合うように手落ち無く、準備万端に整えられたその上で、
 
山入りのお山の事を鳥居本と名付け置かれたので御座居ました。
 
 そして伊邪那岐尊さまは、
          ひつじさる              
武奈山の頂上に、未申の方向に向かって座し給い、
よい         ごせいかん
宵の明星に向かって御遷還遊ばれましたので御座居ました。
     いざなぎのみこと  むつどき
 続いて伊邪那身命は其の六津時(十二時間)後に比婆山の山頂に、
うしとら               
丑虎の方向に向かって座し給い、
あけ みょうじょう   ごせいかん
朱の妙星を仰ぎながら御遷還遊ばれましたので御座居ました。
 
 
         この岩倉が人祖初代伊邪那岐尊の御魂処              岩倉から南西方向に見える山が比婆山
 
うしとら・ひつじさる     こんじん
丑虎・未申の方位と金神について
 
 
人類の大祖人「初代」伊邪那岐尊と、
 
人祖「初代」伊邪那身命さまの墓処のことを鳥居本と言われ、
 
其の鳥居本の在ります場所・地域のことを彦根(中心)という意味を持ち、
 
彦根人間人類の中心「彦根」と名付けられたのでありました。
 
祝詞の中にあります「天津彦根」とは宇宙産天界の彦根、日輪太陽を示し伝えているのです。
 
またこの地上生命界の中心を鳥居本「彦根」と申し、
 
人間人類の大祖人「初代」伊邪那岐尊と、人祖「初代」伊邪那身命の陵の在る場所を示し、
 
言い伝え残して来て居ます。
 
また超古代より人が死ぬことを「山に逝く」山入と、ごく最近まで言われて居ましたが、
 
その山とは彦根の鳥居本の武奈山と比婆山の、人祖「初代」伊邪那岐尊と、
 
人祖「初代」伊邪那身命さまの陵の事であったのです。
 
また死者を甕や桶の中に座らせて葬ってきたのも、
 
人祖の御霊魂に習った物と思われます。
 
天上神霊津より化生天神として此の生命界に、人間人類の元生産親「太元帥明王」として、
 
此の生産土の地球に人間として、一番最初に御降臨遊ばされた、
 
初代伊邪那岐尊・伊邪那身命は天命にお従われ、
 
三十八名のお子を生産育てに成られたので御座居ました。
 
然による太元帥明王様のお姿が、
 
丹生家十八家を十八面三十六臂で現され、
 
其の頂点に大丹生家の天皇・天皇が現されているのです。
 
また霊仙三蔵が中国から届けられた石山寺には、三十八社がお祀りされています。
 
その三十八名の子供たちとともに、
 
七十六音七六の霊現・言霊を以て、人間人類の安全を保障し合う、
 
大和言葉を完成遊ばれたので御座居ました。
 
そして「初代」伊邪那岐尊さまは丑虎の金神に迎えられ、暮れ六津を限りに、
 
宵の明星をさして御遷還遊ばれましたので御座居ました
 
続いて人祖「初代」伊邪那身命さまも、」伊邪那岐尊さまの後を追うようにして、
 
其の六津時(十二時間)後に未申の金神に迎えられて、
 
明けの明星と共に御遷還遊ばれましたので御座居ました。
 
 そして、伊邪那岐尊さまと伊邪那身命さまは、
 
次なる輪廻転生の霊津の為に三位一体が渾然一体のこ渾霊(零)と成る為に、
 
丑虎成る金神(金星)に向かわれたので御座居ました。
 
この事を一字金輪と言い遺された聖者もおみえです。
 
金星で一つの意志霊魂渾霊(渾霊とは、植物・動物人間が区分なく一つに成こと)となり、
 
水星(澄み切った星)で澄すがされて太陽に向かい、
 
太陽で更に焼き清められて「丹」となり、丹光として、
 
宇宙産迂迦の障壁賀に届けられてゆくのです。
 
これを輪廻転生と言い伝えられてきているので御座居ます。
 
 
 
加古藤市氏書 より 
 
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